2012年08月06日

出産当日の長い一日(2006年11月)

帝王切開による出産を終え、入院する個室に移った。このクリニックは、産後は個室と決まっている。トイレもあり、ソファベッドには、付き添いがいつでも宿泊できる。シャワーは共同で優先は入院患者だけど家族も使える。

帝王切開した直後の私は、もちろん動けない。それでも、病院の許可を得て、最初から母子同室にしてもらった。枕元の椅子には義母が座り、そこ横に娘のコット(小さな赤ちゃん用のベッド)が置かれた。

夫は早速、オムツの替えかたを習い、おっかなびっくりオムツを替え、抱き上げた。そのなんとも言えぬ、愛おしそうな、幸福そうな顔を見て、遅ればせながら産んでよかったと思った。それから当分の間、「俺が一番にオムツを替えた、一番に抱っこした」 とうるさかった。ここまでだったかな。私の幸せな気分は。

しばらくすると、夫はそわそわし始めた。そして、「明日、着ていくカッターや下着、ネクタイがないから……」と言い出した。おい、1日2日くらい休めないの?でないなら、そのくらい持ってこいって言うのは酷?

手術は15時からだったから、まだ明るいとはいえもう夕方。大手スーパーがなんとか歩いて行けるところにあるから、この際だから買ってきたら、といっても聞かない。義母一人にについててもらうのも、気遣いするし、それですませてほしかったんだけど。

結局、「すぐ戻るから」と片道30分以上かけて電車で帰った。ずいぶん待っても来ないので、義母がブチブチ言い始めた「早く帰ってくれないと。暗くなると帰るの怖いから」暗くなると怖いって、小学生?「夫はすぐ帰ってくるから、心配しないで帰ってください」と言っても、こちらも聞かない。

2時間くらいたっただろうか。夫が戻ってきた。義母はもう帰るつもりでいる。でも、夫は手ぶら。家の鍵を忘れたから、車だけ乗ってきたと言う。

そして。鍵を持って、もう一度行くと。

もう買ってきて済ませてよ、ホントにすぐ近くだから。義母と二人で言ったのだけど、夫は聞かない。義母も「暗くなると怖いから」と何度も言うが、ダメ。

またまた結局、家へ帰った夫。車だと30分かからないから、1時間もあれば帰ると思ったのに、待てど暮らせど帰らない。当然、外は暗い。また義母はブチブチブチブチ。「田舎から出てくるとき、名古屋は都会だから怖いって、散々脅かされて」怖くなったと言う。69歳、そりゃ引ったくりは怖いだろうけど、脅されたのは何十年前の話?だから帰ってくださいって。「いいのよ、あなたが悪いんじゃないから」だったら、もうブチブチはやめてほしい。こっちは手術したばかり。気なんか遣いたくない。

想像がついてきた。夫は、シャワーしてるんだ、きっと。シャワーして、紙を洗って、ドライヤーで髭剃って。

何時だったか忘れた。でも、1時間半とかではない。遅くなって夫が戻ってきた。自分からは言わなかったから、聞いてみた。シャワーして来たんでしょう?ビンゴ。

ここにも共同だけど、シャワーくらいあるんですけど。義母と新生児と一緒に、手術したばかりの妻を放置して2往復した理由は、シャワーかい?共同のシャワーは入院してるはは親たち優先だから、気は遣うよね。でもさ、ここはどの部屋も個室で、病室も少ない。全室、家族が泊まれるようになっているから、夫たちも当然シャワー使うでしょうに。

確かに、夫は他人の家に泊まるのも嫌い。私には遠方の友達が何人かいて、夫も一緒に泊まりにおいで、旅行の宿泊費が浮くよ、と誘われてもダメ。私だけ行くのはOKだからいいんだけど。私の実家にも滅多に泊まらなかった。

出張や社員旅行で誰かと同室も嫌だと言っていた。

気を遣うから、と言えば聞こえはいいけど、要するに、自分の自由にできないから、なんだよね。

だからって。妻がはじめての出産をした日に、たかがシャワー、しかも、ちょっと気を遣えば(入院中にはほとんど誰ともバッティングしなかったくらいだから、気遣いも無用だった)、同じ目的は果たせるのに、放置して行くか?

私なら、1日くらい、しかも11月、シャワーくらい我慢できるぞ。災害時はどうするんだ?

病院から、「今日は一晩どなたか付き添ってください」と言われたから、夫は泊まってくれたけど、そうでなければ?

その夜は、さすがの私もぐったりしていた。動けないので、水も吸い飲みを取ってもらうのだけれど、夫は最初、吸い飲みの口を向こうに向けたまま渡してきた。衝撃だった。しかも満水。両手は使えたと思うんだけど、なんだか向きを変えるのに苦労した記憶がある。寝たきりの病人に吸い飲みを渡すときに吸い口を当人に向けない無神経さに驚いて、余分な記憶もついてしまったのかもしれないけれど。

病人の看護をしたことがないと、それくらいのこと?と思うかもしれない。でも、これが大事なんだ。自分がそうされて、私もやっと実感した。特に大事なこととは思わず、合理的判断として、そのようにしていたけど。

あれやこれやで、この入院期間に夫の思いやりのなさを思い知ることになった。入院中、家族用のベッドを使ったのは、この一日きり。毎晩、深夜に覗きに来てすぐ帰っていった。娘の顔を見に来ただけ。

11日間の入院を終え、産褥入院のため、助産院に移った。それからも相変
わらず、深夜に来てすぐ帰る日々。土日も仕事がある日もあり、こちらにもせっかくある家族用の寝具は使わないままだった。

この間に、ああ、私はこの子を一人で育てるつもりでないと、やっていけないかもしれない、と思ったのだった。

しかし。もっと現実は厳しかった。一人で子どもを育てるどころか、一人で本物の子どもと、生んだ覚えのない髭の生えた身長181cmの偉そうな子どもの二人を育てるはめになるとは、このときはまだわからなかった。

手術したばかりで、はじめての出産で、ナーバスになっている妻に、自分の母親のブチブチに付き合わせながら待たせる理由か?まさか、こんな人だったとは。
posted by プルーン at 18:16| 愛知 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 大人のアスベルガー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月24日

出産前後と夫の反応(2006年10月11日)

産後すぐ、娘が脱水で高熱を出して別の病院のNICUに入り、いろいろ動いてくれた夫。それで、一時的に忘れたのだが、実は出産当日、既に、「ああ、この子は私一人で育てなきゃいけないんだ……」と覚悟した出来事があった。

助産院での自然分娩を予定していた私。
予定日が過ぎても、赤ちゃんが自分で出てきたくなるまで待つ、という方針の元、毎日、助産院に通った。
一週間近くたった頃、定期的に微かな痛みが来ては消える繰り返しが続いた日があり、助産院に一泊したものの、 何度か陣痛計が大きく動くことはあっても、また治まってしまい、家に戻るということがあった。

予定日から10日めの10月30日、とうとう助産院の経営母体である産婦人科クリニック受診を指示された。クリニックでの内診とエコーの結果、仙骨の傾きが悪くて参道が狭いから、出てこられないのかもしれないということだった。

それでも、助産院での出産を希望していたのがわかっているからか、なるべくなら自然分娩に近い形でとは考えてくれたようで、翌日一日入院して、陣痛促進剤を飲んでみて、陣痛が来れば助産院に移動して出産、ダメならまた考えましょうということになった。

翌朝、夫も一緒にクリニックへ行き、説明を受け、夫は会社へ行った。そういうときや他の病気などのためにあるらしい4人部屋に入院。同じ助産院で、やはり陣痛がつかない人と一緒だった。二人ともNintendo DSを持ち込んでいたので、同じように数時間おきに陣痛促進剤を飲み、一定の時間が過ぎると陣痛計をつけ、お喋りしたりソフトを交換しあったりして過ごした。夕方近くになって、陣痛がついた彼女は、助産院に戻っていった。

結局、私には陣痛は来なかった。

翌日の診察時、付き添いが誰もいない私を医師は怪訝そうな顔で見ながら、「ご主人は?」と言った。会社に行ったと言うと半ばあきれたような顔をした。私自身、今日帝王切開になったとしても、時間前に着けばいいと思っていたので、その時は、不審そうにされたのが意外だった。診察の最後に、これだけ陣痛が来ないし、エコーからすると産道より頭が大きくて出られない可能性も高い、15時に帝王切開にしましょうと言われた。私のような場合、点滴の陣痛促進剤を使うと、最悪、子宮破裂という大惨事になりかねないということだった。

この期に及んでも、夫の到着については慌てなかった私に、医師と看護師の両方から、すぐ来てもらうようにと急かされて、やっと電話をした。どうも、昨日の時点で夫はずっと付き添っていて当然だったらしい。

今考えれば、それはそうだ。陣痛促進剤を飲んでるわけだから、ちゃんと効けば入院した10月31日のいつ生まれてもおかしくないわけだから、立ち会いの希望がなかったとしても(我が家は私の希望で立ち会い)、付き添って待つのが当然だろう。でも、夫は会社に戻って仕事 、翌日も普通に会社へ行った。

夫にすぐ、電話した。「手術は15時からだけど、できるだけ早く来てって」と言っても、「え?すぐなんて無理だよ。15時からなんでしょ?なんでそんなに早く行かなきゃいけないの?」 という反応。心配じゃないわけ?私はぶちキレた。

「あのさ、出産は一大事なんだよ!?お腹の子にとってはたった一回しかないことなんだし!すぐに来れないって、どう言うこと!?ゴチャゴチャ言ってないで早く来て!!」

夫が到着するまでの間、浣腸され、静脈確保され、陣痛室の隣で待つことに。涙が出て仕方がなかった。最初から帝王切開と決めていたり、それしかないとわかっていたら、この時点で嘆くことはなかったと思う。ただ、私の場合、助産院の畳の部屋でフリースタイルの出産を予定していた。

自分が母との関係が最悪だったので、母子感の愛着形成に役立つと言われることは何でも試してみたかったのが、自然分娩を希望した理由。それでいろいろ調べると、助産院でなるべく医療の手を借りない出産方法、というのにひかれていった。一時期問題になっていたホメオパシーとかはやっていない助産院で、ビタミンK2シロップを飲ませることは確認した。免疫の検査ももちろんするし、万一の時は、クリニックの医師が飛んできてくれる。なにせ目と鼻の先だから。

会陰を裂傷することが少ないと言うのも魅力の一つだった。病院で産むと、予後を考えて必ず切開すると聞くから。切るときの痛みは、陣痛の痛みが凄すぎて感じないらしい。でも、私が嫌なのはその後。座れない、しみる、そういう状態が続くのが嫌。恒常的にある鈍痛というものに弱いらしい。

究極の自然に近いお産から、陣痛促進剤を使った上に帝王切開という、医療を使い倒す出産への転換。気持ちがついていかなかった。嗚咽をこらえきれないときもあり、看護師さんや助産師さんに慰めてもらったけど、彼女らはきっと帝王切開を怖がってると思っただろうなぁ。

手術は全然怖くなかったんだけど。評判のいい産院だし、外科的な医療には、わりと信頼を持っている私。全身麻酔で鼻の手術をしたこともある。腰椎に射つ下半身麻酔の注射の痛みは怖かったけど、それ以外の不安はなかった。

私の怒りが通じたのか、思ったよりは早く到着した夫は、そわそわと落ち着かず、4人部屋から産後用の個室への荷物の移動など、スタッフに促されてするも、いろいろどんくさい。

何だかんだと時間が過ぎ、よていの15時には手術室に入った。帝王切開でも夫は立ち会える。滅菌処理された手術着を着て、頭には髪を覆うための大きな帽子。緊張で固まっていて、

目も合わせようとしない!
声もかけてくれない!

これは後で気がついた。私もこれからの手術のことを考えて、それなりに緊張していたと思う。違和感はあったけど、これだったのか!と今気づく。

海老のように丸まって、腰椎に注射。あれ?最初の軽い麻酔の注射針のチクッはあったけど、あれ?もう終わったの?っていう感じだった。痛くなんかなかった。まったく。どうも、ここのもう一人の医師は、麻酔がすごくうまいらしい。

手術が始まると、助産院から駆けつけてくれた助産師さんが、頭の上にいてくれて、ずっと励ましたり、中継してくれたり。夫はといえば、指示された通り、私の顔の右側に座って、手を握ってはいるものの、顔はお腹に向いて(実際は青い幕で遮られて術野は見えない)いて、目を合わせるどころではない。ガチガチに緊張している。

前にもにたようなシチュエーションがあったような、と思ったら、結婚式だった。特に披露宴。歩くのもぎこちなく、ロボットのようで、やはり、顔を見合わせることもできなかった。キャンドルサービスでは、ドアにはいる前に進む方向を指示されたけれど、それ、絶対間違える、と私が思った通りの間違い方をして、私がこっちこっちと、引っ張らなきゃならなかった。その様子までビデオに収まっている。

生まれた後も、産湯を使うのを見に行くのが精一杯で、そこからは、それまでクリニックのスタッフが撮影してくれていたビデオを返してもらい、生まれたばかりの娘を撮影するのに必死で、一切、声かけはなかった。お疲れさまもありがとうも、よかったね、もなし。

因みに、夫は帝王切開に立ち会ったことも、産湯を使ったときにそれをビデオ撮影していたのが自分だということも、今ではすっかり忘れている。何故?

それでも、病室に帰って、我が子を抱き、それまでは一度も見たことのないような、嬉しそうな笑顔を見て、私は幸せだった。産んで良かったと思った。

その瞬間だけが、娘を産んで以来のたった一つの夫に関するいい思い出だったような気がする。この日は、まだ終わりではなかった。
posted by プルーン at 13:11| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 大人のアスベルガー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月29日

占有離脱物横領?

公園で遊んで帰ろうとしたとき、私の自転車のAmiの座席に、戦隊物の黄色いヒーローのフィギュアの小さいのが変型して鍵になる(たぶん、玩具売り場にあるゲームに使えるんだと思う)玩具がチョコンと置いてあった。

何故ここに?
私はその辺のベンチに置いて帰りたかったんだけど、Amiはその辺の誰かに聞いてみろと言う。聞きたければ自分で聞けば、と言ってみたものの、ま、Amiにしては当然、自分では聞かない。

一応、その辺にいた男の子数名に聞いてみたけど、知らないと言われた。

先日、別の公園でハンカチが落ちていたときは、公園事務所へ持って行った。ずっと以前、近所の公園でブルゾンを見つけたときは、小学生の名前があったので、小学校へ届けようとした途中で、保育園の卒園生に会って「俺、明日、持っていってやるよ」と言ってくれたので頼んだ。

落とし物は持ち主に変えるように手配する。

Amiはわかっているはず。

でも、今回は持ち主もわからない、届けるところもない。

だから。持って帰りたかったらしい。

何故か。

1年以上前の話。まだ時効ではないんだけど。
夫とAmiが二人で公園へ行って帰ってきたとき、赤ちゃんに似せた、安くはなさそうな人形をAmiが抱えて帰ってきたことがあった。

服こそパーカーしか着てなくて、下着のパンツもはいてなかったけど。顔も体も薄汚れてるわけじゃなし。髪の毛もメチャメチャってわけじゃない。

「どーしたの、これ」
と聞くと、夫は、
「捨ててあった」
と言う。はぁ?あの公園にゴミ箱もごみ捨て場もないけど?
「どこに?捨ててあったようには、見えないけど」
と私。
「えー?だって、植え込みのところに落ちてたんだよ」
と夫。
それさぁ……。何かの拍子にベビーカーや荷物からこぼれたんだって……。
「捨ててあったんだよ」
違うよ。また探しに来るよ。
捨ててあるのかどうかって、何日も置いてあったのを知ってるなら判断できるけど、一回見ただけじゃぁ。だって、汚れてないよ。

家に帰って気がついて、持ち主の女の子が泣いてるかも。探しに戻ってきた親が困ってるかも。

普通、そんなの持って帰ってくるか?

どうしても放置できないと娘が言うなら、交番にでも届けようよ。

はっきり言って、それは犯罪。
占有離脱物横領。
落とし物は勝手に自分のものにしてはいけないのだ。

とはいえ、Amiはもう「いちごちゃん」と勝手に名前をつけて、すっかり自分のものにしてしまってる。診断を受ける受けないのまだもっと前の話だけど、その手から人形を奪うのは、大変なことだと想像ができた。

悪いことに、夫は持ち帰りを許したことに、梅雨ほども疑問を感じていない。となると、ここで異を唱えることは、修羅場を覚悟せねばならない。

ゴメン。この子の本当のママである女の子。おばちゃんはあなたの悲しみより、我が家の平和を取ったんだ。Amiにもゴメン。持ち主のわからないものは自分のものにしていいなんていう、とんでもない誤学習をさせちゃったね。

あとで知った。4千円くらいのメルちゃんという人形だった。やっぱり捨てたんじゃないと思う。あんなにキレイなんだもの。私なら、要らなくなったら、他の子の手に渡るよう手配する。

今では、すっかり我が家の一員になってしまったメルちゃん。あの経験から、届けるところがなければ、自分が持って帰っていいとインプットしてしまったAmi。

冒頭で見つけたフィギュアもベンチに置くのではなく、交番を探して連れていくべきだったかもしれない。

しかし。夫のこういう感覚は、まったく理解しがたい。
posted by プルーン at 10:16| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大人のアスベルガー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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