2012年03月14日

卒園式の祝辞

アスベルガーとは直接関係ない話。

3月17日(土)は、Amiの保育園の卒園式。Amiは年中なので見送る側。母である私は保護者会役員として祝辞を述べなければならない。定員80名の小さな園なので、年中年少の役員は一人ずつしかいないのだ。来年は保護者会長に決定している。

役員は、持ち上がり制とは知らず、年少の時一年だけだと思って、園長先生に頼まれて引き受けた。正直、騙された気分。祝辞を述べなければならない話も、年少の役員のお母さんから「役員になるとき、年中のときは卒園式の祝辞をやるって聞いたけど、やるの?」と3月の初めに聞くまで知らなかった。人前で話すことは、上手ではないけれど抵抗のない私は、当たり障りのないことを言っておけばいいだろうくらいに思っていた。

ところが、今週の月曜(12日)になって、3年分の祝辞の原稿と原稿用紙を渡されて愕然……。こんなちゃんとした紙に書いて読み上げる訳〜??? 更に、過去の役員さんたちの原稿は、オリジナリティに溢れるとは言い難い金八先生風のものではあるけど、文例集にあるような、当たり障りないものではなく、ある程度、その人の言葉で書かれたもの。

原稿を考えるのはいいけど、清書するのが嫌〜。残るのが嫌〜。
残るとなると、内容もすごく考えてしまう。

実は私はライターの仕事をしていたこともある。すごく読者層は狭いもののパソコン雑誌の記事(全国誌)も書いていた。でもでもでも。それよりずっと緊張する。

特に、娘がアスベルガーとわかった以上、普通の「頑張れ」とか「やればできる」みたいなことは言う気がしない。「弱い子は助けてあげてね。いじめないでね」と言いたいのが本音。
結局、そういう内容を、誰にでも通用する形でまとめてみた。
これは、卒園児に向けた言葉でもあるけれど、実は娘のAmiへのメッセージかもしれない。

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「卒園式 祝辞」

 年長さん、卒園おめでとうございます。
 保育園で、泣いたり笑ったり、いろいろなことを覚えて大きくなった皆さん。今日はいつもよりずっとキラキラして見えます。
 保護者の皆様、お子様が人生最初の節目を迎えられたこと、心よりお喜び申し上げます。
 産声を聞いてから6年何ヶ月、いろいろなことがあったと思います。初めて笑った、初めて立った。一つ一つの成長が、大きな喜びだったことでしょう。熱を出したり、怪我をしたり、夜泣きに悩まされたり、ご苦労も多かったと思います。保育園からの「熱が出ました」の連絡に、仕事をやりくりして駆けつけたことも一度や二度ではなかったかもしれません。お子様方の晴れ姿をご覧になり、感慨深いことでしょう。保護者の皆様の懸命な支えがあって、この日を迎えることができたのだと思います。本当にお疲れさまでした。
 卒園児の皆さん、四月からいよいよ一年生ですね。ワクワク楽しみな気持ち、ドキドキ心配な気持ち、どちらもありますね。保育園と違って、学校では自由に遊ぶ時間は少なくなります。大人になる練習です。でも、心配しなくても大丈夫です。初めは難しくても、だんだんできるようになります。
 学校を楽しくするためのヒントを三つお話します。
 一つめは、好きなこと、得意なことを見つけて、楽しく頑張ること。苦手な人に教えてあげられるくらいになりましょう。
 二つめは、難しいことにもチャレンジすること。下手でもいいのです。一所懸命やりましょう。得意な人に教えてもらうことも一つの方法です。「教えて」と言えることが大切です。
 三つめは、困ったことがあったとき、もやもやした気持ちのとき、黙って我慢しないで、誰かに話してみることです。一人で考えていると、どんどん苦しくなってしまいます。もちろん楽しいこと、嬉しいことも話しましょう。
 好きなことを頑張ること、難しいことにもチャレンジすること、何でも話すこと。是非、やってみてください。
 優しい先生方や職員の方々に見守られ、保育園で過ごした毎日は、皆さんの心の宝物になることでしょう。小学生になっても、ときには遊びに来て、元気な姿を見せてください。楽しみにしています。
 簡単ですが、もう一度、お祝いの言葉を申し上げて、祝辞とさせていただきます。
 卒園おめでとうございます。
平成24年3月17日 在園児保護者代表
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
こんなに長いの、子どもたちは聞いていられるのかなぁ、他にもたくさん祝辞があるだろうし、と思うんだけど、過去3年のはもっと長かった。今年、渡された原稿用紙は58行なので、このくらいの分量になった。
さっき、筆ペンでこの文章の下書きをしてみて疲れちゃったから、清書はまた明日。
来年は、お礼の言葉を書かなきゃならないんだよな。今から頭が痛い。
posted by プルーン at 13:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 保育園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月10日

Sちゃんとのこと

途中、もう大丈夫か、と思って臨床心理室へ連れていくのをやめたら、また登園を渋るようになった。再開すると、また行けるようになった。

Sちゃんとのトラブルは依然として続いていた。
主に離れていくAmiの関心を引くための意地悪。
年中になってから、迎えに行ったとき、2回、目にした。

1度は、Amiの制服のブレザーもボタンが一つ取れたのを、取り上げて返さなかった。片手の手のひらを見せながら、
「持ってないよ」
と言うけど、もう片方の手は後ろに回しているから、持っているのは明らか。でも、こちらも調子を合わせ、
「Amiのボタン、一緒に探してくれる?」
と言ってみた。
すると、Sちゃんは、パッと反対の手に素早く握り直して、さっきまで握っていた手を広げて見せた。
「持ってないよ」
そう言って、園庭の反対端にある滑り台の上へ逃げて行った。
???
そこで持ち変えたのを大人が気がつかないと思うところは子どもだけれど、やってることは、子どもとは思えない……。

もう、私が一人で対処すべきではないと判断し、側にいた先生に事情を話した。先生がSちゃんを説得するも、なかなか返さず。Amiはもう、最初から泣いている。

しばらくして、父親が迎えに来ると、やっと先生にボタンを返し、父親に飛び付いた。そこで先生が事情を説明していた。私は泣きじゃくるAmiを抱き、声をかけようと思えばかけられる、でも声をかけなくても不自然でない距離を保ちながら、父娘の前を通り過ぎた。
案の定、父親からは、会釈の一つもなかった。

2回目は、登り棒に上れるようになった娘が、上るところを見せたいと言うので、見ていた。すると、横にSちゃんがやって来て、Amiが登っている棒をグイグイ押してきた。下は固定されていないので、だんだん斜めになって、登っている方は怖い。押し留めながら「危ないからやめて」と私が言っても聞かない。Sちゃんは隣の棒に登りながら押してきているので、これ以上押し止める力を込めると、Sちゃんの方も危ないので、私は大声で先生を読んだ。

先生が説得して止めさせてくれた。膝に抱いて諭そうとしていた。
そして、ちょうど迎えに来た父親のところへ、
「パパにお話ししないといけないね」
と言って、保育士さんが抱いて連れていった。
何となく、その流れで一緒に行ってしまった。

父親は説明を聞いたけれど、ヘラヘラ笑って、娘を抱き上げるだけ、こちらに目をやりもしない。ここで私はぶちきれた。キチンと謝れとは言わない。せめて顔を見て会釈くらいするんじゃないの?もう黙っていられなかった。
「あのぅ、こういうとき、私がSちゃんの母親なら代わりにAmiに『ごめんね』と言うと思うんですけど」
と、年配男性(Sちゃんの父親は恐らく50代半ば過ぎ)が傷つかないよう、精一杯、配慮したつもりだった。

ところが。

「なんだとぉ!?見てなくて事情もわからん(いや、説明聞いてたでしょ)のに、謝れっていうのか?え?どういうことだ?おい!」
と、ドスの利いたおおきな声で凄んできた。よくドラマや漫画でチンピラが、「何だと、お前?表へ出ろ!」というときと同じような口調と態度で鼻先数センチまでにじり寄ってきた。
確認するけど、ここは園庭。子どもたちがいるのに非常識。と、思いつつ、怯んだと思わせたくなくて、怖かったけれど、後に引けなかった私。
まっすぐ目を見たまま、
「事情がわからないって、いま、先生からお聞きになったでしょう。だいたい、謝れなんて言ってません!」

火花が散ったところで、先生がまぁまぁと間に入ったので、今度は矛先が先生に。
「ここは犯人探しをするのか?」
いや、全然問題が違うって……。

私はAmiを連れてその場を離れ、園長先生を呼びに行った。そして、園長先生がSちゃん父を諌めて、やっと収拾。

それからも、二人の自主性を大切にして、極力、保育園からの働きかけはせず、トラブルになったら対処するということで、過ごしていた。

でも、あるときから、またSちゃんの自分勝手な振舞いが目立つようになり、毎晩、毎晩、寝るときにSちゃんが嫌だ、Sちゃんが嫌だ、と言うようになったAmi。

残念だけれど、子供の友達関係であっても、ここは親がコントロールするしかないと判断。
「保育園の趣旨とは外れているかもしれませんが、極力、二人が関わらないように気をつけてください」とお願いした。
この作戦は功を奏し、だんだんSちゃんと離れて遊ぶようになった。Sちゃんは相変わらず、Amiに嫌なことを言ってきたりはするようだけど、束縛はなくなったし、集中的にやられるわけでもなくなった。Ami自身も自分で「やめて」が言えるようになって、落ち着いた。

落ち着いたのは、2011年の秋。2010年6月から、なんと1年以上。障害がわからなかった当時でさえ、親のいないところではでは大人しいAmiには苛酷だと思っていた。今、どんなに辛かったか考えると、更に胸が痛む。

Sちゃんも2012年3月の時点ではずいぶん落ち着いている。
でも、相変わらず問題が多い。他の子とのトラブルはしょっちゅうで、別の口が悪くて気の強いYちゃんとやりあって、両手で頬を挟んで腫れ上がらせたこともある。

友だちを泣かせて、先生に叱られると、先生がいなくなってから、その友達の頭をパチンと叩くようなこともする。(Amiの話から、先生に確認済み)Amiにはそういうことを見るのもストレスらしい。

でもね。その程度のことは、これからいくらでも起こるから、Amiも慣れていくしかないんだよな……。

Sちゃんのことも、心配。1対1で話せば、普通に話が通じるし、頭も良さそう。絵も上手だし。でも、Amiに限らず友達とうまく遊べないし、気に入らないことがあると怒ってどこかへ行ってしまう。Amiのように発達障害なのか、父親の接し方の問題なのかわからないけれど、なんとか今のうちに、適切な指導が受けられるといいのだけど、と他人事ながら思う。

障害の有無に関係なく、あらゆる子どもたちに、それぞれその子に合ったサポートがほしい。親だけで子を育てるのは難しいし、古来、人間はコミュニティで協力しあって子育てをしてきたはず。そこには父親や祖父の姿もあったはずだ。各家庭に籠って、母親だけで子育てをするようになったのは、戦後のこと。母親だけに子育ての責任を負わせるのは、日本の伝統ではない。

「母親だけでは無理だから、祖母も一緒に」
というのは安直だからね。
父方であろうと母方であろうと、いるほうが迷惑な祖母も多いし、密室であることに変わりはないから。
posted by プルーン at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 保育園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月09日

登園拒否の本当の理由(2010年)

娘を連れての2回目のカウンセリングで、遊戯療法の意味について聞いてみた。
1時間と時間を区切って、遊ばせる。好きなようにさせているだけに見えて、実は、とことん子どもに自信を持たせるように仕向ける、ということのようだ。できたら誉める、アイデアを誉める。「自分は価値がある」という自己肯定感を持たせるのが目的、とのこと。自己肯定感が育てば、いろいろ上手くいく。親では、なかなかできないこと。

その甲斐あってか、Amiは保育園での出来事を、いろいろ話してくれるようになった。そこで、やっと、保育園に行けなくなった理由が見えてきた。

「Sちゃんとばっかり遊ぶの嫌だ」
「他のお友だちとも遊びたい」

え〜?
毎日のように、Sちゃんの名前が出ていたから、てっきり仲良しなんだと思っていたから、違うの?と思った。本当にびっくり。
よくよく聞いてみると、Sちゃんが嫌いになったわけではなく、他の友だちとも遊びたいだけらしい。ただ、Sちゃんが独占欲が強くて、他の友だちのところへ行こうとすると止められるらしい。しかも。他の友だちがAmiを誘いに来ても追い払うと言う。( ̄▽ ̄;)ガーン!Sちゃんも一緒に他の子ともっていうのも無理らしい。

何それ?小学生女子並みの人間模様が、保育園年少で?

何日かに渡って、やっと聞き出した、Amiの悩み。今まで話せなかったのは何故なのかわからないけど、遊戯療法のおかげで、打ち明けることができたとしか思えない。

すぐに保育園で、園長先生と担任の先生に聞いてみた。確かに、そういう様子は見られると言う。
わかってたの?
そんなに大きな問題だとは思っていなかったみたい。
更に、二人いる担任の若いほうの先生がポロッと
「Amiちゃんを通じて、Sちゃんも他のお友達と遊べるようになるといいと思っていたのですが…。」
園側の思惑を漏らしてしまった……。

実は、Sちゃんは年少で入園してきた、問題児ちゃん。
保護者懇談会のとき、お父さんが自分で、
「今までに3回も勝手に家を抜け出して、警察のお世話にもなった問題児です」
と言うくらいの子。
皆で集まって先生の話を聞くというときもじっとしていられず、一人だけ好き勝手なことをしている。自分の思い通りにならないと手が出る。口も悪い。
当時は発達障害のことはあまりわからなかったから、ADHD傾向なんだろうけど、親のしつけの問題じゃないかと思っていた。父親が自分の子を公衆の面前で「問題児」と言ったり、3歳までの間に3回も勝手に抜けださせるなんて、あり得ないと思った。今ならSちゃんもアスベルガーなのかもとは思うけど、それにしても、父親の態度はちょっとおかしい気がする。

順番が前後して、ややこしいんだけれど、元々、Amiには1,2歳児クラスのときから、Mちゃんというママ共々の仲良しがいたのだ。Mちゃんに弟が生まれるため、4月からママと一緒に県外に里帰りしてしまった。その間に、Sちゃんと仲良くなったのだ。

Mちゃんがいなくなって、新しく友達関係を結ぶのが難しかったAmiと仲良くなったSちゃん。途中の保護者会であれ?とは思ったし、普段の様子からもSちゃんのことは問題がありそうだとは思っていたけれど、そのときはAmiに障害があるなんて思っていなかったし、ここまで拗れるなんて予想もつかなかったから、私は私で、Amiが仲良くしたい友だちにケチをつけるのは親として正しくないと思って黙っていた。

それに、親としてはあまりよくない態度かもしれないけれど、私は、自分の子どもさえよければ、という風には、どうしても考えられない。Sちゃんはどうも家庭的に恵まれていないようだし、Amiと仲良くすることでいい影響があるといいと思っていた。登園拒否の原因になっていると知るまでは。

言ってみれば、私の考えも園と同じだった。私自身は気が強くてよほどのことがなければめげない性格だから、Amiも大丈夫だと思い込んでいたのかもしれない。AmiがSちゃんと仲良くできるなら、それもいいと思っていた。甘かった。

園の対応には、かなり腹が立つ。たまたま思惑が同じだっただけで、私は園での実態を知りようがない。Amiをスケープゴートにするなら、もっときめ細かくチェックしてほしかった。とはいえ、ここでコトを荒立ててもいいことはないし、この若い先生は、園ではいちばんの有望株として私も期待している先生。こんなミスを親から指摘して上の先生から叱られて潰れないでほしい。というわけで、これまで通り、無理をお願いして申し訳ないけど、なんとか協力してほしい、という姿勢を保ちつつ、園と相談を密にしていくことにした。

保育園とのやり取りにおいて、「こうするべき」「こうしてほしい」と要求する姿勢、あるいは、「こういうやり方はおかしい」という非難する態度で望むのは得策ではないと思う。「協力をお願いする」という姿勢で望むと、案外上手くいくことって、他の場面でもよくあることだと思う。ものは言い様、大事なのは結果。

よかったのは、この園は元々の保育方針が、園児一人一人の個性を重視して、のびのび育てることであること、障害児などの受け入れに積極的であること。これは自分の子に障害がないと思っていたときから、良いことだと感じていた。Amiには、障害のある人ともない人とも自然に関われる人になってほしかったから。

そして、もう一つ。園長先生は、Amiの親である私たちはに対して、気持ちの上で劣勢にある。何故かというと、Amiの小麦アレルギーが判明した後、園で誤ってパン粥を食べさせてアナフィラキシー起こさせたことがあるから。適切な処置のおかげで命は助かったけれど、遅れていたら危なかったそうだ。当時の園の対応は誠実で、文句の言い様もなかったけれど、訴訟沙汰にしてもおかしくなかったことは、園長先生は自覚なさっているようだ。
行事に出るお菓子から何から、しっかり配慮してくださる。また、その経験から、アレルギーの子どもの受け入れにも力を入れてくださっている。

こういう気持ちの優位性は、利用するしかない。結果的には、Amiが命を賭けて勝ち取った立場と言えなくもないから。もっとも、Amiがあのとき死なずに、今生きているから言えることだけど。

その後も、Sちゃんとの摩擦は、2011年の夏ごろまで延々と続いた。大きめのトラブルも絶えなかった。
登園拒否はなくなったけれど。2つしかないクラスの移動も考えたし、食物アレルギーがなければ、転園もやむなしというくらい悩んだ。

ともかく、Sちゃんとのトラブルを、やっと親と保育園が認識したわけだ。
これが、Amiの登園拒否の本当の理由だった。

トラブルがなくなった訳ではないのに、登園できるようになったのは、遊戯療法による効果で、AmiがSちゃんにNoを言えるようになってきたからのようだった。
posted by プルーン at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 保育園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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