2012年05月19日

アスペルガーと聴覚障害

完全母乳に拘りすぎたせいで、脱水症状から高熱を出し 、感染症を否定するために生後3日目にして、NICUに搬送された、現在、5歳の娘Ami。

結局、脱水症状だけで、輸液による水分補給だけで事なきを得た。夫は救急車の後、すぐ車で病院へ行き、手続きをした。3,138gで生まれたAmiは、ほとんどが未熟児のNICUの中では、異様に大きく見えたと言う。

感染症の検査結果はすぐに出て、退院してもいい状態だったものの、出生届がまだで、入院した11月3日は祝日で金曜、土日と続いて退院は6日の月曜になった。

その間、夫は私が病室で絞った母乳を、仕事が忙しいのに毎日届けてくれた。(仕事が忙しい?祝・土・日・月?あの頃は休日出勤ばかりだった)あの頃は、感謝してたなぁ。母乳の拘りに付き合ってくれてるって。出産当日の信じられない行動も忘れて。

信じられないかもしれないが、私はこの間、娘に直接母乳を飲ませられないことが悲しくはあったけど、検査結果がわかってからは、娘がいなくて寂しいとか、心配でしかたがないという気持ちにはならなかった。やっぱり、母性本能なんて、元から備わっているものじゃないんだな、と実感した。当時は、こんなことでいいのだろうか、とも思ったけど。

この入院には、思わぬ副産物?があった。
ここからが本題。

娘がクリニックに帰ってきて、夫からまず聞かされたことは、衝撃的だった。

「聴覚障害があるかもしれない」

その病院のNICUでは、入院した新生児すべてに聴力検査のスクリーニングをかけることになっていたそうだ。

一難去ってまた一難。最初は、寝耳に水で、理解するのに時間がかかった。だいたい、乳児に聴力検査って、訳がわからない。まぁ、とにかく、聴力に問題があると、言語の習得に遅れが出るので、念のため、後日、検査に来るように、とのことだった。

夫の休みの都合で11日間、クリニックに入院し、出産予定だった助産院に次の土曜まで産褥入院。その後は夫の実家で養生させてもらった。実母には頼れなかったから。

ここで、義母と孫をめぐる初めての対立。思い返せば、その後の対立を象徴するものだった。

「こんな小さな子に検査なんて可哀想。大きくなってからでいいのに」

おい。赤ちゃんはお腹にいるときから言語学習は始めてるんだ。軽ければいいけど、重度の難聴だったらどうしてくれる?

私は、強度の遠視と斜視を放置され、中途半端に矯正されて、下顎の突出はなくなったものの、酷い乱杭歯といい加減な噛み合わせなり、嫌な思いをしている。こんな思いはさせたくない。解決できることはする、と言い張り、夫の実家から検査に出掛けた。

乳児に聴力検査はどうやって実施するのか?

注射器に入れた睡眠剤を飲ませて眠らせ、ヘッドホンから音を聞かせ、ABRという装置を使って、脳波を調べる。

Amiは眠らない子(要するに睡眠障害)だったため、睡眠剤を飲んでも眠るのに時間がかかった。しかも、途中で目を覚まし、甘味はつけてあるものの嫌な味らしい睡眠剤を、再度飲ませた。

結果は、
「左耳にごく軽度の難聴。生活に支障はなさそう。1歳の誕生日くらいに経過観察のため再検査」
ということだった。

一安心だった。

翌年の誕生日前、再検査をした。
結果は同じだった。来年も、と言われたけれど、私もうつ状態が酷くなってきていたし、補聴器など必要ないのであれば、異常がなければいいだろうと、それ以来、検査には行っていない。

それにしても。

病気や検査に関して、義母の言うことは、いつも私には理解できない。

赤ちゃんのときの検査なんて、多少辛くても記憶に残らないんじゃないだろうか?可哀想?聴覚障害を見逃して、補聴器や内耳を使うタイミングを逃して、言葉が遅れたら、そのほうが可哀想じゃないの?親に手を抜かれたって、大人になってから思ったら、それもまた悲しい。

療育についても、わざわざそんなことしなくても、元気だし、大丈夫よ、と言うのが義母。

それで、今思うこと。

この、ごく軽い難聴という検査結果は、大人の検査と違って、脳波で調べる。ABRがどういう脳波を調べるのかはわからない。でも、鼓膜などで物理的に音を拾えているかどうか、伝えているかどうかではなく、「脳が感知しているかどうか」を調べたわけだ。

これは、発達障害と無関係なんだろうか?
アスペルガー症候群の症状の一つ、感覚鈍麻の一形態とは言えないか?

そうだとすれば、この検査で、日常生活に必要とされるより広い音域の検査もして、感覚過敏も発見できるのではないか?

難聴と、聴こえすぎ、両方をスクリーニングでピックアップして、自閉症スペクトラムの早期発見に活用することはできないだろうか?

最初の検査の時点で、もしわかったとして、告知を受けたとして、受け入れられたかどうかはわからない。でも、早期に発見することで、違うアプローチができるとか、何か助けになることもあるのではないだろうか。
posted by プルーン at 17:44| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | アスベルガー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

出産方法と完全母乳と愛着形成

私は完全母乳で育児をする!と決めていた。

妊娠するかなり前から、マクロビオティック(一種の玄米菜食主義)の都合のいいところだけ取り入れる食生活をしていた影響もあって、仕入れる育児情報が、「自然派」に片寄り気味だったからだと思う。

1. 母乳育児は母子の愛着形成に役立つ。

2. 初乳には、赤ちゃんの個別の体質に応じて、最適な免疫力をつけるための抗体が入っているから、飲ませた方がいい。

3. 母乳が本当にでないのは、1000人に1人。出るまで根気よく飲ませること。

4. 赤ちゃんは三日分の水分と栄養を持って生まれてくるので、母乳が出るようになるまで、飲まず食わずでも大丈夫。糖水や人工乳は与えなくてよい。

5. 牛のお乳からできた人工乳、つまり異種たんぱくを最初に腸に入れてしまうと、アレルギー体質になりやすいと言われる。

というような説を、いくつかの違う情報源と思われるところから広い出し、私自身の選択として、取り入れた。

助産院でフリースタイルの自然分娩をする予定が、助産院の経営母体であるクリニックでも帝王切開になり、私の望んでいた母子愛着形成作戦の一つが失敗に終わったことも、強くこだわる原因になったと思う。

予定日を10日過ぎても陣痛がつかず、1日だけ陣痛促進剤を飲んで陣痛を待った結果のことだった。仙骨が傾いていて、微妙に頭が通らない、児頭骨盤不均衡というのが医師の診断だった。

私は母親の愛情を感じたことがない。精神的虐待を受けてきたとさえ思っている。

だから、生まれてくる子どもにそういう思いをさせないためになる可能性のあることは、一つでも多くしたい、と思っていた。

母と子で協力し合って、自然分娩をすることによって、愛着が増す、という、今考えれば、たいして根拠のないこと(あり得ないとは思わない)を真に受けて、必死になっていた。

せめて母乳だけは、と、帝王切開にも関わらず、出産当日から母子同室にしてもらい、看護師さん、助産師さんの協力の元、おっぱいを吸わせようと頑張った。

しかし。

帝王切開で傷が痛み、体制がうまく変えられない。乳首の位置が眼鏡のフレームから外れるため、Amiの口をうまく誘導できない、等々、問題が発生。Amiは泣き叫ぶばかりで、なかなか母乳にありつけない。

今、振り返ると、もしかすると、それすらAmiの障害の兆候だったのかもしれないとも思う。「母乳が出ない」という話はよく聞くけれど、赤ちゃんがうまく吸えない、という話は、哺乳瓶の乳首に慣れてしまった場合以外、聞かないような気がする。

更に、入院した病室が、11月だというのに暑かった。日当たりがよすぎて、エアコンをガンガンにかけても暑かった。お陰でAmiは汗ビッショリ。お腹は満たないけど、泣き叫び疲れて眠って、またトライ、を繰り返した。

その結果。

11月1日の15時15分に産声をあげ、11月3日の夕方、40度を超える高熱を出して、日赤病院に搬送されることになってしまった。脱水だとは思うけれど、感染症の可能性も排除できないので、個人クリニックでは責任を持てない、ということだ。

私はそのクリニックに残り、Amiは一人で救急車に乗せられた。あのとき、救急車の後ろ姿を見送った光景は忘れることはない。その時、夫は、ちゃんと私の肩を抱いて、「大丈夫だから」と励ましてくれていたな。

結論から言うと、Amiは脱水を起こしただけで、輸液による水分補給で事なきを得た。

冷静に考えれば、室温が高すぎ、膨大な汗をかいたことが不運の一つ。また、クリニックも母乳育児に力を入れ始めたばかりで、新生児が母乳を長時間飲めずにいるのに、母親の意思を尊重するあまり、糖水の補給くらいを勧める機転を利かせられなかったことも、大きな原因(夫の母は、私を庇い、この事を繰り返して言っていた)だったと思う。

でも、やはり私自身の拘りが過ぎたことは、反省するしかない。

また、完全母乳を目指した理由の一つ、アレルギーに関しては、まったく効果はなく、完全なアレルギー体質の上、小麦と卵の食物アレルギーまで発症した。アナフィラキシーを起こすほど重症で、5歳になっても血液検査の数値は最大。それでも、こういう説がある以上、母親の精神安定のためには、拘ってよかったと思う。人工乳を最初に飲ませて発症したら、「あのとき頑張らなかったから」と思わずにいられなかっただろうから。

ただ、母子の愛着形成、ということに関して、たいして問題になっていなくても、こんな風に自分で自分と子どもを追い詰める方向に走ってしまう例もあることは、知ってほしいと思う。

ただ、この搬送で、日赤病院のNICUに入ったことは、別に意味で無駄ではなかった。
posted by プルーン at 15:30| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | アスベルガー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。