2012年03月15日

その後の療育ーー移行済みーー

初回の療育が悲惨だったことは、「2月28日、初訓練」に書いた。

2回目からは、
「方針を変更しました」
とのことで、言語聴覚士さんと二人でゲームをする形になった。

勝負のつくゲームを、ルールに従って対等なやり取りを身につけるのが狙い。

そういえば、Amiは勝ちに拘って、負けそうになると、途中で自分に有利なマイルールを作っちゃったり、ベソをかいたり、癇癪を起こしたりするんだよな。

「お友だちとだと、お友だちが優位に立ち、お母さんだと自分優位に振る舞う傾向があると思うので、そうではなく、対等な関係を持つ練習です」
ということだった。

2回目の療育(3月7日)は、楽しく過ごすことができ、3回目(3月15日)は行き渋ることなく、楽しく終わることができた。
次回は、4月7日。
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2012年03月14日

卒園式の祝辞

アスベルガーとは直接関係ない話。

3月17日(土)は、Amiの保育園の卒園式。Amiは年中なので見送る側。母である私は保護者会役員として祝辞を述べなければならない。定員80名の小さな園なので、年中年少の役員は一人ずつしかいないのだ。来年は保護者会長に決定している。

役員は、持ち上がり制とは知らず、年少の時一年だけだと思って、園長先生に頼まれて引き受けた。正直、騙された気分。祝辞を述べなければならない話も、年少の役員のお母さんから「役員になるとき、年中のときは卒園式の祝辞をやるって聞いたけど、やるの?」と3月の初めに聞くまで知らなかった。人前で話すことは、上手ではないけれど抵抗のない私は、当たり障りのないことを言っておけばいいだろうくらいに思っていた。

ところが、今週の月曜(12日)になって、3年分の祝辞の原稿と原稿用紙を渡されて愕然……。こんなちゃんとした紙に書いて読み上げる訳〜??? 更に、過去の役員さんたちの原稿は、オリジナリティに溢れるとは言い難い金八先生風のものではあるけど、文例集にあるような、当たり障りないものではなく、ある程度、その人の言葉で書かれたもの。

原稿を考えるのはいいけど、清書するのが嫌〜。残るのが嫌〜。
残るとなると、内容もすごく考えてしまう。

実は私はライターの仕事をしていたこともある。すごく読者層は狭いもののパソコン雑誌の記事(全国誌)も書いていた。でもでもでも。それよりずっと緊張する。

特に、娘がアスベルガーとわかった以上、普通の「頑張れ」とか「やればできる」みたいなことは言う気がしない。「弱い子は助けてあげてね。いじめないでね」と言いたいのが本音。
結局、そういう内容を、誰にでも通用する形でまとめてみた。
これは、卒園児に向けた言葉でもあるけれど、実は娘のAmiへのメッセージかもしれない。

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「卒園式 祝辞」

 年長さん、卒園おめでとうございます。
 保育園で、泣いたり笑ったり、いろいろなことを覚えて大きくなった皆さん。今日はいつもよりずっとキラキラして見えます。
 保護者の皆様、お子様が人生最初の節目を迎えられたこと、心よりお喜び申し上げます。
 産声を聞いてから6年何ヶ月、いろいろなことがあったと思います。初めて笑った、初めて立った。一つ一つの成長が、大きな喜びだったことでしょう。熱を出したり、怪我をしたり、夜泣きに悩まされたり、ご苦労も多かったと思います。保育園からの「熱が出ました」の連絡に、仕事をやりくりして駆けつけたことも一度や二度ではなかったかもしれません。お子様方の晴れ姿をご覧になり、感慨深いことでしょう。保護者の皆様の懸命な支えがあって、この日を迎えることができたのだと思います。本当にお疲れさまでした。
 卒園児の皆さん、四月からいよいよ一年生ですね。ワクワク楽しみな気持ち、ドキドキ心配な気持ち、どちらもありますね。保育園と違って、学校では自由に遊ぶ時間は少なくなります。大人になる練習です。でも、心配しなくても大丈夫です。初めは難しくても、だんだんできるようになります。
 学校を楽しくするためのヒントを三つお話します。
 一つめは、好きなこと、得意なことを見つけて、楽しく頑張ること。苦手な人に教えてあげられるくらいになりましょう。
 二つめは、難しいことにもチャレンジすること。下手でもいいのです。一所懸命やりましょう。得意な人に教えてもらうことも一つの方法です。「教えて」と言えることが大切です。
 三つめは、困ったことがあったとき、もやもやした気持ちのとき、黙って我慢しないで、誰かに話してみることです。一人で考えていると、どんどん苦しくなってしまいます。もちろん楽しいこと、嬉しいことも話しましょう。
 好きなことを頑張ること、難しいことにもチャレンジすること、何でも話すこと。是非、やってみてください。
 優しい先生方や職員の方々に見守られ、保育園で過ごした毎日は、皆さんの心の宝物になることでしょう。小学生になっても、ときには遊びに来て、元気な姿を見せてください。楽しみにしています。
 簡単ですが、もう一度、お祝いの言葉を申し上げて、祝辞とさせていただきます。
 卒園おめでとうございます。
平成24年3月17日 在園児保護者代表
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
こんなに長いの、子どもたちは聞いていられるのかなぁ、他にもたくさん祝辞があるだろうし、と思うんだけど、過去3年のはもっと長かった。今年、渡された原稿用紙は58行なので、このくらいの分量になった。
さっき、筆ペンでこの文章の下書きをしてみて疲れちゃったから、清書はまた明日。
来年は、お礼の言葉を書かなきゃならないんだよな。今から頭が痛い。
posted by プルーン at 13:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 保育園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月10日

Sちゃんとのことーー移行済みーー

途中、もう大丈夫か、と思って臨床心理室へ連れていくのをやめたら、また登園を渋るようになった。再開すると、また行けるようになった。

Sちゃんとのトラブルは依然として続いていた。
主に離れていくあみの関心を引くための意地悪。
年中になってから、迎えに行ったとき、2回、目にした。

1回目は、あみの制服のブレザーからボタンが一つ取れたのを、取り上げて返さなかった。片手の手のひらを見せながら、
「持ってないよ」
と言うけど、もう片方の手は後ろに回しているから、持っているのは明らか。でも、こちらも調子を合わせ、
「あみのボタン、一緒に探してくれる?」
と言ってみた。
すると、Sちゃんは、パッと反対の手に素早く握り直して、さっきまで握っていた手を広げて見せた。
「持ってないよ」
そう言って、園庭の反対端にある滑り台の上へ逃げて行った。
???
そこで持ち変えたのを大人が気がつかないと思うところは子どもだけれど、やってることは、子どもとは思えない……。

もう、私が一人で対処すべきではないと判断し、側にいた先生に事情を話した。先生がSちゃんを説得するも、なかなか返さず。あみはもう、最初から泣いている。

しばらくして、父親が迎えに来ると、やっと先生にボタンを返し、父親に飛び付いた。そこで先生が事情を説明していた。私は泣きじゃくるあみを抱き、声をかけようと思えばかけられる、でも声をかけなくても不自然でない距離を保ちながら、父娘の前を通り過ぎた。
案の定、父親からは、会釈の一つもなかった。

2回目は、登り棒に上れるようになった娘が、上るところを見せたいと言うので、見ていた。すると、横にSちゃんがやって来て、あみが登っている棒をグイグイ押してきた。下は固定されていないので、だんだん斜めになって、登っている方は怖い。押し留めながら「危ないからやめて」と私が言っても聞かない。Sちゃんは隣の棒に登りながら押してきているので、これ以上押し止める力を込めると、Sちゃんの方も危ないので、私は大声で先生を読んだ。

先生が説得して止めさせてくれた。膝に抱いて諭そうとしていた。
そして、ちょうど迎えに来た父親のところへ、
「パパにお話ししないといけないね」
と言って、保育士さんが抱いて連れていった。
何となく、その流れで一緒に行ってしまった。

父親は説明を聞いたけれど、ヘラヘラ笑って、娘を抱き上げるだけ、こちらに目をやりもしない。ここで私はぶちきれた。キチンと謝れとは言わない。せめて顔を見て会釈くらいするんじゃないの?もう黙っていられなかった。
「あのぅ、こういうとき、私がSちゃんの母親なら代わりにあみに『ごめんね』と言うと思うんですけど」
と、年配男性(Sちゃんの父親は恐らく50代半ば過ぎ)が傷つかないよう、精一杯、配慮したつもりだった。

ところが。

「なんだとぉ!?見てなくて事情もわからん(いや、説明聞いてたでしょ)のに、謝れっていうのか?え?どういうことだ?おい!」
と、ドスの利いたおおきな声で凄んできた。よくドラマや漫画でチンピラが、「何だと、お前?表へ出ろ!」というときと同じような口調と態度で鼻先数センチまでにじり寄ってきた。
確認するけど、ここは園庭。子どもたちがいるのに非常識。と、思いつつ、怯んだと思わせたくなくて、怖かったけれど、後に引けなかった私。
まっすぐ目を見たまま、
「事情がわからないって、いま、先生からお聞きになったでしょう。だいたい、謝れなんて言ってません!」

火花が散ったところで、先生がまぁまぁと間に入ったので、今度は矛先が先生に。
「ここは犯人探しをするのか?」
いや、全然問題が違うって……。

私はあみを連れてその場を離れ、園長先生を呼びに行った。そして、園長先生がSちゃん父を諌めて、やっと収拾。

それからも、二人の自主性を大切にして、極力、保育園からの働きかけはせず、トラブルになったら対処するということで、過ごしていた。

でも、あるときから、またSちゃんの自分勝手な振舞いが目立つようになり、毎晩、毎晩、寝るときにSちゃんが嫌だ、Sちゃんが嫌だ、と言うようになったあみ。

残念だけれど、子供の友達関係であっても、ここは親がコントロールするしかないと判断。
「保育園の趣旨とは外れているかもしれませんが、極力、二人が関わらないように気をつけてください」
とお願いした。
この作戦は功を奏し、だんだんSちゃんと離れて遊ぶようになった。Sちゃんは相変わらず、あみに嫌なことを言ってきたりはするようだけど、束縛はなくなったし、集中的にやられるわけでもなくなった。

落ち着いたのは、2011年の秋。2010年6月から、なんと1年以上。障害がわからなかった当時でさえ、親のいないところではでは大人しいあみには苛酷だと思っていた。今、どんなに辛かったか考えると、更に胸が痛む。

Sちゃんも2012年3月の時点ではずいぶん落ち着いている。
でも、相変わらず問題が多い。他の子とのトラブルもしょっちゅうで、別の口が悪くて気の強いYちゃんとやりあって、両手で頬を挟んで腫れ上がらせたこともある。

友だちを泣かせて、先生に叱られると、先生がいなくなってから、その友達の頭をパチンと叩くようなこともする。(あみの話から、先生に確認済み)あみにはそういうことを見るのもストレスらしい。

でもね。その程度のことは、これからいくらでも起こるから、あみも慣れていくしかないんだよな……。

Sちゃんのことも、心配。1対1で話せば、普通に話が通じるし、頭も良さそう。絵も上手だし。でも、あみに限らず友達とうまく遊べないし、気に入らないことがあると怒ってどこかへ行ってしまう。あみのように発達障害なのか、父親の接し方の問題なのかわからないけれど、なんとか今のうちに、適切な指導が受けられるといいのだけど、と他人事ながら思う。

障害の有無に関係なく、あらゆる子どもたちに、それぞれその子に合ったサポートがほしい。親だけで子を育てるのは難しいし、古来、人間はコミュニティで協力しあって子育てをしてきたはず。そこには父親や祖父の姿もあったはずだ。各家庭に籠って、母親だけで子育てをするようになったのは、戦後のこと。母親だけに子育ての責任を負わせるのは、日本の伝統ではない。

「母親だけでは無理だから、祖母も一緒に」
というのは安直だからね。
父方であろうと母方であろうと、いるほうが迷惑な祖母も多いし、密室であることに変わりはないから。祖母だけにサポート役を負わせるのは無理。
posted by プルーン at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 保育園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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