2012年03月20日

子育てのプロを自認する、夫の母の無理解

1月25日療育センターへいく前日、行き掛かり上、検査を受けることを告げたときの反応が、あまりにも否定的だったので、2月5日に招かれたときは、具合が悪いと言って、夫とAmiだけが行った。
翌日、義母から電話がかかってきた。

「具合が悪いって聞いたから、大丈夫かな?と思って。本当は聞くつもりはなかったんだけど、この間、あそこへ行くって言ってたから、それでかなぁとか考えちゃって。何か言われたの?」
しまった。この反応は予想できたはずだ。これだったら、行って、夫の前で説明した方がましだった。

「聞くつもりはなかった」
嘘ばっかり。
義母はいつもそう。
1歳5ヶ月まで歩けなかったAmi。週に3回くらいは電話で話す。その度に、「今日はどうだった?」と聞かれた。歩けるようになったことを報告したとき、
「貴女が気にするから言わなかったけど、ずっと心配してたのよ。よかったね、歩けて」
はぁ。確かに、「歩けるようになった?」とも「なかなか歩けないから心配してる」とも、そのものの言葉は言わなかったよね。間違いない。電話でいろいろ今日の出来事を話した後に、「今日はどうだった?」と言われれば、プレッシャーとしては充分でしょう。
おむつ外れも遅くて、3歳8ヶ月。このときは、1歳半(夏前)くらいからじわじわ始まった。ちょうど、うつ病で苦しかったから、最初の頃は気にする余裕もなかったけど、よくなった後の2歳半の夏からはもう、真綿で首を絞めるようにやんわり責められた。で、おむつが外れたときに言われたのが、上と全く同じ台詞。

で、発達検査の後にかかってきた電話で、しかたなく、診断名と、アスペルガーがどういうものか、簡単に説明した。
「心配しなくて大丈夫よ。気にしていかん(ダメの名古屋弁)。医者が話を聞いただけで、そう言うだけでしょ。大きくなったら変わるよ貴女は何でも気にしすぎ。」
などと、根拠のない慰め、と言うより説得をされた。
説明する前に、
「気にするなとは言わないで」
と、しつこく言ったんだけど。
この電話は、2月6日。Amiが保育園に行っている間だった。

そのときに、お祖母ちゃんとの電話がキッカケでよく癇癪を起こすのも、アスペルガーのせいだと思うと話したせいか、それ以来、義母からは電話はかかってこなかったし、Amiが電話したいと言ってもはぐらかしたり、葉書を書かせたりして電話は避けていた。実際、義母は人をからかうのが好きで、そのフィーリングがAmiと合うときはいいのだけれど、合わなくて癇癪を起こさせることがしょっちゅうだったから。ごく些細なこと、私にも義母にも何が気に入らないかわからないことで、癇癪が止まらなくなることも多かった。その度に、義母は気にしなくていいと言うけど、私は恐縮して謝ることの連続だった。同時に腹も立ててたんだけど。

というわけで、次の訪問日もAmiと義母の葉書のやり取りで決まった。それも、電話の直後の手紙で私宛に
「2月3月は忙しいから、また落ち着いたらね」
と書いてきたので、Amiには4月になったら遊びに行くと書かせたのに、その返事が、
「おばあちゃんは、17にちと20にちがあいています」
だったのだ。人の話を聞かない人だっていうのはわかっていたけど、書いたものまで無視する人だったとは。

そして、3月20日。気が進まなかったけれど、また電話が来ても鬱陶しいので、渋々、一緒に行った。

「私は気にしないから。そうは言っても、忘れちゃう訳じゃないけど」
と義母はあの日の電話で言っていたから、どうだかなぁ、と思いつつ、自分からはその話を持ち出すまいと決めていた。

ところが、案の定、着くなり義母は聞いてきた。
「どう?もうすぐ年長さんでしょう?緊張してぐずぐず言わない?」
きた、と思って私は当たり障りなく答えた。
「まぁ、クラス移動は1月に済んでて、年長さんはもう別のクラスになって、年少さんになる子達も同じクラスに上がってきたから慣れました」
そしたら、
「卒園式は嫌がらなかった?」
と来た。
「まぁ、渋りましたけど、何とか。一斉に立つように言われて立てなくても、先生が立たせに来てくれたら立てたし。」
とチラッと言ってしまったが最後、
「大丈夫よ。来年にはできる。心配しなくていい」
と捲し立てられた。そうですね、そうですね、と聞き流す。一言反論すると、10倍返ってくるから。

義母は結婚前(50年以上前だ!)、保育園だか幼稚園だかで働いていた。そして働きながら、夫の独立後、町工場を切り盛りしながら3人の子を育てた。更に20年ほど前から、ボランティアで育児サークルの読み聞かせなどをしている。自分は子どものことは知り尽くしているプロだ、という意識が強いようだ。子どもの気持ちもわかるし、母親の気持ちもわかるつもりになっている。面倒なことに、彼女は、女なら母親なら、皆、夫や子どもに対して同じ気持ちを持っていると信じている。

その日も、Amiと一緒に買い物に行ったり、公園へ行ったりする間中、Amiの仕草や動作にイチイチ注釈をつけてくれる。「ちょっと眠たいのよ」「嬉しいんだわ」「これがちょっと気に入らないのよ」等々。大抵的はずれなんだけど。だいたい5歳過ぎて年長になるくらいの子は、自分の気持ちくらい自分で言えますって。気に入らないことがあって、言葉にできないなら、この
メンバーならAmiは癇癪起こしてますって。こういうのがずっとだから鬱陶しい。

一緒にいる間中、私が少しでもAmiの行動に不安なそぶりを見せると、「心配ない、大丈夫、気にしすぎ」の連発。私の言動にイチイチ反応する貴女の方が、よほど気にしすぎじゃないの?

また、家の中でボール遊びやゲームをするとき、Amiがずるをしようとしたりすると、Amiが不貞腐れようがどうしようが、意地でも正そうとムキになるので、ヒヤヒヤする。癇癪に移行すると手がつけられなくなるから。その上、
「おばあちゃんは、厳しいから許さないよ。お父さんやお母さんみたいに甘くないから」
と言うのだ。結局、そういう風に思ってるんだよね。癇癪を起こしたり、拗ねたりするのは、甘やかしてるからって。

留目は夕食時の会話。一人でパクパク食べるAmiを見て、「楽になったでしょう」と言う。今、この時期にわざわざ言わなくても。そしてボランティアの話。いろいろ悩んで相談してくるお母さんたちも多いらしい。「心配しすぎてダメ、子どもが神経質になる、と言ってあげるの。そうすると、そうですかって帰っていかれるよ」ひえぇ。私がAmiの子育てに辛かったとき、そんなこと言われたら、「わかってもらえない…」と絶望してたよ。ボランティアのおばさんに、でも、でも、と食い下がることなどできるわけもなく。それですんで行く人たちばかりじゃないはず。

すべてが、善意からあっていることだけに、余計に厄介。

そういう積み重ねがあって、我慢ができず、夫に隠れて、小4でアスペルガーだということを親から告知され、「アスペルガーは犯罪を犯す障害じゃないことを証明する」決意をした女の子が小5で書いた絵本、「アスペルガーの心」を置いてこようとした。すると、私にその本を押し返しながら、
「気にしていかん(ダメ)って!」
と言ってきたので、思わず義母の腕をつかんで、激しい口調で
「気にするなとか言わないでくださいっっ!!」
と凄むように言ってしまった。

「そんなこと言って、こんなの読んだら私が気になる」
本音だよね、それが。

私に、孫が障害者じゃないと言ってほしいんだ、きっと。
わかりたくないんだよ。
それぞれの個性って、思いたいから。
それで孫が困るとか、親である嫁がどれほど苦しんでるとか、関係ないんだよね。

「一人っ子で甘やかされた子」
世間ではそう思われるだろう。アスペルガーって、札をつける訳にもいかないし、つけたってどういう障害か、ほとんど知られていないし。そんな風に思われるって、真剣に育児に取り組む親としては、どれだけ恥ずかしいか。
見てわかる障害児であれば、世話は比較にならないほど大変だし、本人の困難も多いだろうけど、恥ずかしいとは思わない。断言する。

とにかく、本は置いてきた。

子育てサークルに来る子たちの中にも、そういう子はいるかもしれないし、Amiのためにも知ってほしい。協力してとは言わないけど、もう傷つけるようなことは言わないでほしい。そういう気持ちを、帰りの車の中で書いた。途中まで。書き続けて送信したかったのだけど、やめた。無駄だから。疲れるだけだから。

気持ちがあれば、置いてきた本を読むだろう。

子育てサークルの人たちには申し訳ないけど、ここでエネルギーを使うのは無駄。

今後、義母とはできる限り距離を置く。
それしかないと思っている。

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2012年03月19日

配偶者の自尊感情

娘のAmiは、アスペルガーだろうと、多少手がかかろうと、無条件に可愛い。なんとしても力を尽くして、できるだけ本人の持ち味を活かし、できるだけストレスを減らして、社会に順応できるよう、親として精一杯、支援したいと思う。

発達障害の親は誰でもそうでなければならないなんて、思わない。いくら頑張っても、受け入れられず、前向きになれない親だっていると思う。それはそれで、仕方がないと思う。私の親なら、絶対に受け入れないだろう。そういう親を子どもが受け入れるのは、もっと難しいと思うけど。

でも。夫のアスペルガー的態度には、いつまで付き合えるかまったく自信がない。もちろん、夫がアスペ的であるとわかってから、家庭生活はマシになった。夫も心の奥底では何か感じているのだろう。多少、態度が軟化した。そして、私は私で、アスペ夫の妻本などから得た、乗りきり法みたいなものを自分なりに取り入れて、ある程度、かわしかたを実践できるようになってきた。

再び、でも。
釈然としない。
夫は、
「俺は違うよ」
「医者が経験だけで診断するんだって」
あくまで否定する。その言葉の裏に、「障害者」や「精神病患者」に対する差別感情があり、私に対する上から目線があのを感じる。

最近読んだ本、佐々木正美著「アスペルガーを生きる子どもたちへ」はアスペルガーの子育てをする者には、とても勇気づけられるよい本なのだけれど、大人のアスペルガーに関する記述には、どうしても納得できない部分もある。

それは、
「アスペルガーの人たちは、誠実でまっすぐである」
という部分。

少なくとも、夫は、私や自分自身に対しては誠実ではない。
自分の弱さを認めることはしないし、脳の機能の違いによって生じる行き違いによって起きる不都合は、すべて自分以外に原因を求める。そういう姿勢を、果たして誠実と呼べるのだろうか?

アスペルガーの人の配偶者や子どもに対してよく言われることに、
「アスペルガーの人ができないことをやれというのは、目の見えない人に見ろ、耳の聞こえない人に聞け、足の悪い人に走れと言うようなもの」
という言葉がある。

子どもについては、その言葉はもっともだと思う。でも、大人の場合は?もちろん、理屈としては、その通りだと思う。できないことは、手伝う。譲る。そんなのは人間として当たり前のことだ。

でも。
三度目の、でも。

目の見えない人が、「自分は見えている」と言い張るだろうか。「目の悪い私が見えていないと言うのは、お前のほうがおかしい」と言うだろうか?見える人に手を貸す、あるいは見えない世界を共有するのが当然として、感謝することはないのだろうか?手を貸さない人

見えない世界を理解しようとしてもできない人を、バカにしておかしい人扱いをするのだろうか?

しないと思う。

健常者同士であっても、得意不得意があり、お互いに助け合い、譲り合い生きている。そういうときには、その時々に感謝しあい、労いの気持ちを持って接する。

でも(4どめのでも)、夫は違う。自分のルールに合わないことをする人間は、ことごとくバカにする。見下す。私など、娘を妊娠してからの5年余り、何度、
「(頭が)おかしいんじゃないの?」
と言われたことか。

どっちがおかしい、とかじゃなく、どうしたら、お互いに気持ちよく過ごせるか、考えたいのに、夫は自分が気持ちよければ、万事平和だと信じているのだ。それは、夫をアスペルガーと推定した今、「自分さえよければいい」という自己中心的な考えから来るものではないと、頭ではわかっている。

それでも、夫の知識と私の知識にズレがあったときなど、
「そんなこともわからないの?何も知らないんだね」
と言われる(事実としては、私の知識が正確なことが多い)ようなことが、全ての状況で続くとしたら。
いや、続くのだから。

私は何を拠り所として、自尊感情を保てばいいのだろうか。
posted by プルーン at 15:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 大人のアスベルガー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月16日

親(大人)としての振る舞い

3回目の療育のとき、待合室で悲しい場面に遭遇してしまった。

その日は、定型の子が多いであろう保育園の入園前健診があるということで、待合室には赤ちゃんも子どもも結構沢山いた。

待合室には、大人向けの本や、子ども用には絵本、玩具も豊富に揃っていて、子どもたちは靴を脱いで自由に遊ぶことができる。

療育が終わって、バスまでの時間、あみをそこで遊ばせ、私はソファに座って、備え付けの「光とともに」を読んでいた。

赤ちゃんの泣き声がして、ふと顔を上げると、すぐそばに4,5歳の男の子の後ろ姿、その延長に泣いている赤ちゃんを手で支えるお父さんが、ものすごく怖い形相で男の子を睨み付けているのが目に入った。私でも怯みそうな恐ろしい顔だった。
次の瞬間、
「この子が何かしたか?」
と、怒声がお父さんの口から出た。
大きな声ではないものの、明らかに脅しが入った口調。般若の形相をしてこんな声で威嚇されたら、幼児なら定型の子でも身がすくむだろう。

男の子は自閉症スペクトラムのどこかに属する子のように見えた。そばにいたお母さんも、何が起こったのかわからなかったようで、ひたすらそっと「ごめんねって」と何度も男の子に働きかけるのだが、それは無理と言うもの。お母さんにしても、流血沙汰が起こったかのような勢いに、動転したんだと思う。

話を聞いていると、どうもプラスチックでできた高さ40cmくらい、直径30cmくらいの螺旋状のタワー(ボールを転がして遊ぶ)を、男の子が押してしまって、赤ちゃんのおでこに当たってしまったらしい。

赤ちゃんは痛いよなぁ、確かに。

でも、そういうときはまず、抱っこしておでこを撫でてやるのが先じゃないの?赤ちゃんは謝ってもらったって、何の慰めにもならないよ。つかまり立ちがやっとなんだもの。

そして。「あー、やっちゃった」っていうときの幼児に詰め寄ったって、何の解決にもならない。自閉系の子はもちろん、謝るのはすごく苦手だから、「あー、ヨシヨシ」の一拍をおいた後、静かに諭しても、謝らせるのは難しいと思う。でも、定型の子だって、小学校低学年くらいまではこういうのは効果がないと思う。萎縮させて恐怖感を抱かせるだけだよ。

要するに、このお父さんは、自分の「持ち物」に傷をつけられた怒りをぶつけただけ。

さらにその赤ちゃんは、災難なことにまた帰り際に別の子に、持っているものを取り上げられたか何かして泣かされていた。そのときも、お父さんは怒りを露にするだけで、自分の子のケアは全くなし。抱き上げてやれば、すぐに機嫌が直りそうなことだったのに。

お父さんは、髪がほとんど残っていなかったので、老けて見えただけかもしれないけど、40は過ぎている様子。お祖父ちゃんだったのかも。

最初の男の子とお母さんは、センターの職員による何とも歯切れの悪い仲裁で救い出され、別の場所でケアしてもらったようだ。赤ちゃんはもちろん痛かっただけで無傷。

この事件の直後は、自閉症スペクトラムは理解されにくいんだなぁ、困るなぁ、という感想だった。

でも、時を置いて考えると、赤ちゃんのお父さん(おじいちゃん?)の人間としての未熟さが悲しくなった。親になる資格がないんじゃないの?と言いたくなる。自分の子のフォローもできないで、よその子に怒りをぶつけるだけなんて。

そういう親に育てられる赤ちゃんが、可哀想になったし、そういう風に育った子達とあみも渡り合っていかないといけないかと思うと、気が滅入る。どうか、こういう親は、少数派でありますように。赤ちゃんが素直に育ちますように。
posted by プルーン at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アスベルガー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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