2012年03月26日

2011年11月22日小児科での発達検査

2011年11月22日。

小児科で受付を済ませると、すぐに臨床心理士さんが現れて、同じフロアにある面談室に案内された。前回の診察で検査を予約したときに紹介されていたので、スムーズ。

本当は面談室には、Amiが一人で入って検査を受けるはずだったようだが、離れられず、取り敢えず一緒に入っていいということになって検査が始まった。検査の名前は、「田中ビネーX」。

先生に慣れてきたところで、目配せをして私は退室。終わるのを待つことにした。15分くらいした頃だっただろうか。弾けるように検査室から出てきたAmiが、なにかを「できたよ!」と、見せてくれた。何だったかはすっかり忘れてしまった。まだ検査の途中だったので、また先生と二人で面談室に戻っていった。

実際にどのくらいの時間がかかったか、これもすっかり忘れてしまった。ただ、Amiにとって、特別に気を惹かれることでなければ、長すぎる時間だったことは確か。このくらいの年齢(11月1日生まれなので、5歳0ヶ月)なら、普通は耐えられないものだと私は思っていたくらいの時間だった。30分以上45分未満かな。

検査が終わると、小児科の主治医、S先生の診察室に呼ばれた。

なんとなぁく、S先生の顔が険しい気がした。そして、
「うん、Amiちゃん、頑張ったね。全部できたね。ビックリしたよ」
と娘に言い、私には、
「問題は全部できました。検査の結果は、いつにしましょう?」
と言って、12月13日に予約をした。
私には、全部できるとは思わなかった、という口ぶりに感じた。

そして、12月13日、結果を聞いた。

5歳0ヶ月で5歳の問題はすべてクリア。6歳の問題は全滅(当然)。ということで5歳4ヶ月の知能ということ。まぁ標準。
まず、一人で面談室にはいれなかったのが問題の一つ。私としては、5歳ならしかたがないかと思ったら、そうではないらしい。

そして、母が退室した後、検査員に慣れてしまうと、お友だち感覚になり、落ち着きをなくしてしまう。席を立ったり別のものに興味を示してしまったり、なかなか問題に集中できない。促せば、なんとかやる。これが問題の二つめ。

次に、途中で断りもなく席を立ち、面談室から出て母に何か見せに出てしまったこと。これも、経験がないと、「行ってもいいかか」と聞かなければならないのはわからないんじゃないかなぁ、とは思った。何しろ、個室に自分一人で入ってなにかするというのははじめてだし、そういうことをするという予告もなかったから。でも、これが三つめの問題。

最後に、検査の途中で、検査に使う玩具のような器具を思いっきり引っ張って、外してしまった。通常であれば、ごめんなさいを言うべきところで、それがわからず、むしろ「力が強いでしょ?」という感じに得意気。これが問題の四つめ。

結論としては、知的には標準かそれ以上、でも、集中がしにくいし、段取りなどを理解しにくいところがある。つまり、ADHDの傾向が強いと思われる。とのことだった。

対処としては、絵カードなどを使って、次にすることなどを分かりやすく視覚化して示す。ペアレント・トレーニングを受けてみるのも言いと言われた。ただ、それがどこで受けられるかは、検索するなりしてください、だった。

全体に、わかったようなわからないような。
とにかく、今後ADHD傾向が強くならないように、何とかしなくてはならない。

S先生が、いつになく神妙な表情だったのが、かなり気になった。
でも、それ以上、何をどう説明していいのか、わからなかった。

ただ、思ったよりも、事態は甘くなさそうだということだけ、感じていた。

夫の帰りを待ち、検査結果を伝えたけれど、それで?小さいんだから普通でしょ?ととりつく島もなかった。

思えば、あの日が私の孤独の始まりだった。
posted by プルーン at 22:39| Comment(2) | TrackBack(0) | アスベルガー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月25日

娘の診断に踏み切ったキッカケ

生まれたときから育てにくかった娘、Ami。それでも、登園拒否や園の行事で固まってしまうようなことがあっても、それほど普通と違うとは思わなかった。子育ては初めてだし、昔と違って、近くにたくさん子どもがいるわけでもない。40歳という高齢で出産したので、親しい友人たちの子どもはもう中高生で、比較のしようもない。

個人差、気のせい、小さいから、神経質。まぁそうなんだろうな、と思うしかなかった。臨床心理室にも通っていたし、大きくなれば、とも思っていた。

それが、何故、診断を受けて療育センターに通うところまで進んだか。ここ数ヶ月が怒濤の日々過ぎて、キッカケを思い出せなくなっていた。でも、3月20日の記事を書いていて思い出した。

義母だ。2011年10月8日、Amiの運動会での義母の言葉からだ。

皆の前でお遊戯が苦手なAmi2歳児までの乳児クラスのときは、運動会では親子競技しかなかった。3歳児になると、運動会ではダンス、スポーツ教室でやる平均台やかけっこに出る。3歳児のときは、かけっこもスポーツ教室も先生に手を引いてもらう子は他にもいたし、ダンスもピクリとも動かない直立不動というのはどうかとは思うものの、まぁ、他にも目立って変わった様子の子もいたので、緊張してるんだな、大きくなればそのうち慣れるだろうと思っていた。クリスマス発表会でのダンスも見事に直立不動で、ボーッとたっているだけというのは、そのほうが恥ずかしいとわかれば、そのうちやるだろうと思っていた。

4歳児の運動会。今年は練習が始まった頃は、ものすごく張り切っていて、ゆずの「スマイル」を唄いながら、結構上手に要所要所でビシビシッと形が決まったダンスを家では披露してくれて、「今年は期待できるかも」と思っていた。ところが、日程が近づくにつれて、だんだん保育園へ行くのを嫌がるようになった。先生に聞くと、リハーサルが始まって、他のクラスの子どもが観客になると、踊れなくなると言う。観客なしでなら楽しく練習に参加するらしい。

元々、Amiの保育園は自主性と個性を重視する方針のようで、何の練習でも、何となく先生が始めて、園児たちが自らやり始めてだんだん形になっていく、という練習の仕方をすることは、昨年の登園しぶりの間、午前中の様子を見ることがよくあって、知っていた。先生がああしなさい、こうしなさいと厳しく言うことはない。それで何故か、結構まとまって年長さんは、かなりちゃんとした組み立て体操なども形にしてしまう。子どもはビシビシやらないといけないなんて嘘だ。Y式みたいに泣かせなくたって、皆、卒園までに跳び箱は飛べるようになっている。皆が跳び箱ができるって、すごいよね?

そんなわけで、園から無理強いされる訳じゃないし、多少、苦手でもやらせるだけは、と軽く考えていた。

でも。

当日のダンスと鼓笛を見て、私はすごく不安になった。

直立不動なだけじゃない。本当に動かない。ダンスは年齢別でやるので、同じ年齢の子たちが全員参加して、踊りながらフォーメーションを変えて、前の列と後ろの列が入れ替わったりするのだけれど、一切、動かないのだ。邪魔になろうが、なんだろうが。これは、いくらなんでも変だと思った。泣いて逃げ出すとかしゃがみ込むならともかく、正面から来る友だちと入れ替わらないといけないところでも、脇へ避けることもなく、動きの邪魔になっても微動だにしないなんて、いくら4歳児でもあり得ない。どうしたもんかなぁ、と内心、頭を抱えていた。

義母も毎年、運動会とクリスマス発表会は見に来る。私が心配事を口にすると、何を言われるかわかっているので、Amiのダンスについて、何も話さなかった。すると、
「心配ない、そのうち、ちゃんとできるようになる」
「しっかりしなさい。貴女も病気は治ったんだから、元気なんだから!頑張らなきゃ。お母さんがしっかりしてないと、子どもに伝染る!」
と言ってきた。いきなり。

はぁ?私、心配だなんて言ってませんけど?うつ病はまだ治ってなくて、薬を飲んでるから大丈夫なだけですけど?それでも別にしっかりしてない訳じゃないし、元気にしてますけど?うつ状態が伝染るような接し方もしてません。
自分が心配してるんじゃん。それが私の病気のせいだって、言ってるんじゃん。
「私はね、すぐ相手のことばかり考えちゃうの。自分のことは後」っていうのが口癖だけど、そんなの嘘ばっか。本当は「相手から自分がどう見られるか、そればっかり気になるの。だから、婉曲な言い回しをするの」でしょ。思いっきり「嫁の育て方が悪い、気にしろ」って言ってるようなもんじゃん。

もちろん、面倒だから、その場はハイハイと黙って聞いていた。私が心からの賛同を示さなかったので、クドクド言われたけど、反論するのも無駄なので黙っていた。それより、具体的な対策を考えなければいけない。

考えているうちに、いつも頭にあったことを思い出した。

Amiは10ヶ月のとき、保育園で過ってパン粥を三口ほど与えられ、アナフィラキシーを起こした。園の過失だけれど、その後の対応が素晴らしく、危ういところだったものの命は助かったので、それはもう過ぎた話。そのとき、車ですぐ近くの大学病院の分院へ運んでくださり、それ以来、家からも近いこともあって、Amiのかかりつけになった。ただ、そこは大学病院。2歳半の時、主治医が代わった。新しい主治医は、1度めか2度めの診察で電子カルテに、「ややこだわりあり」と入力していた。私はすぐピンと来るものがあったけれど、医師のほうから何も切り出されないので、何も聞かなかった。でも、頭の隅にはずっとあった。主治医はとにかく研究熱心で、医学的なことはもちろん、子どもの気持ちをつかむことにまで一所懸命な人。Amiも大好き。

次の診察のとき、早速聞いてみた。
「カルテに書いてある『ややこだわりあり』って、もしかして発達障害とか……そういうことですか?」
「まぁ、そういう傾向があるかも、っていうことですね……」
意外にもあっさり仰った。
「そういう場合、検査とかって、何歳くらいから、どこで受けられるんですか?」
と聞くと、
「もうできますよ。ここでも、IQはお知らせしない、診断名はつけない、ということでよければ、臨床心理士と相談しますが」
ということだった。
その日は一旦帰り、次の診察日11月8日に検査の予約をした。主治医からは何となく、我が意を得たりという様子が感じられ、それが私には心強かった。臨床心理相談室では、発達障害の話はほとんどタブーになっていたし、ツイッターでも否定的な意見をもらっていた。何となく「我が子を発達障害と疑うことはいけないこと」という空気をいろいろなところから感じていた。

そして、2週間後の11月22日、初めての発達検査を受けることになった。
posted by プルーン at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | アスベルガー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月20日

子育てのプロを自認する、夫の母の無理解

1月25日療育センターへいく前日、行き掛かり上、検査を受けることを告げたときの反応が、あまりにも否定的だったので、2月5日に招かれたときは、具合が悪いと言って、夫とAmiだけが行った。
翌日、義母から電話がかかってきた。

「具合が悪いって聞いたから、大丈夫かな?と思って。本当は聞くつもりはなかったんだけど、この間、あそこへ行くって言ってたから、それでかなぁとか考えちゃって。何か言われたの?」
しまった。この反応は予想できたはずだ。これだったら、行って、夫の前で説明した方がましだった。

「聞くつもりはなかった」
嘘ばっかり。
義母はいつもそう。
1歳5ヶ月まで歩けなかったAmi。週に3回くらいは電話で話す。その度に、「今日はどうだった?」と聞かれた。歩けるようになったことを報告したとき、
「貴女が気にするから言わなかったけど、ずっと心配してたのよ。よかったね、歩けて」
はぁ。確かに、「歩けるようになった?」とも「なかなか歩けないから心配してる」とも、そのものの言葉は言わなかったよね。間違いない。電話でいろいろ今日の出来事を話した後に、「今日はどうだった?」と言われれば、プレッシャーとしては充分でしょう。
おむつ外れも遅くて、3歳8ヶ月。このときは、1歳半(夏前)くらいからじわじわ始まった。ちょうど、うつ病で苦しかったから、最初の頃は気にする余裕もなかったけど、よくなった後の2歳半の夏からはもう、真綿で首を絞めるようにやんわり責められた。で、おむつが外れたときに言われたのが、上と全く同じ台詞。

で、発達検査の後にかかってきた電話で、しかたなく、診断名と、アスペルガーがどういうものか、簡単に説明した。
「心配しなくて大丈夫よ。気にしていかん(ダメの名古屋弁)。医者が話を聞いただけで、そう言うだけでしょ。大きくなったら変わるよ貴女は何でも気にしすぎ。」
などと、根拠のない慰め、と言うより説得をされた。
説明する前に、
「気にするなとは言わないで」
と、しつこく言ったんだけど。
この電話は、2月6日。Amiが保育園に行っている間だった。

そのときに、お祖母ちゃんとの電話がキッカケでよく癇癪を起こすのも、アスペルガーのせいだと思うと話したせいか、それ以来、義母からは電話はかかってこなかったし、Amiが電話したいと言ってもはぐらかしたり、葉書を書かせたりして電話は避けていた。実際、義母は人をからかうのが好きで、そのフィーリングがAmiと合うときはいいのだけれど、合わなくて癇癪を起こさせることがしょっちゅうだったから。ごく些細なこと、私にも義母にも何が気に入らないかわからないことで、癇癪が止まらなくなることも多かった。その度に、義母は気にしなくていいと言うけど、私は恐縮して謝ることの連続だった。同時に腹も立ててたんだけど。

というわけで、次の訪問日もAmiと義母の葉書のやり取りで決まった。それも、電話の直後の手紙で私宛に
「2月3月は忙しいから、また落ち着いたらね」
と書いてきたので、Amiには4月になったら遊びに行くと書かせたのに、その返事が、
「おばあちゃんは、17にちと20にちがあいています」
だったのだ。人の話を聞かない人だっていうのはわかっていたけど、書いたものまで無視する人だったとは。

そして、3月20日。気が進まなかったけれど、また電話が来ても鬱陶しいので、渋々、一緒に行った。

「私は気にしないから。そうは言っても、忘れちゃう訳じゃないけど」
と義母はあの日の電話で言っていたから、どうだかなぁ、と思いつつ、自分からはその話を持ち出すまいと決めていた。

ところが、案の定、着くなり義母は聞いてきた。
「どう?もうすぐ年長さんでしょう?緊張してぐずぐず言わない?」
きた、と思って私は当たり障りなく答えた。
「まぁ、クラス移動は1月に済んでて、年長さんはもう別のクラスになって、年少さんになる子達も同じクラスに上がってきたから慣れました」
そしたら、
「卒園式は嫌がらなかった?」
と来た。
「まぁ、渋りましたけど、何とか。一斉に立つように言われて立てなくても、先生が立たせに来てくれたら立てたし。」
とチラッと言ってしまったが最後、
「大丈夫よ。来年にはできる。心配しなくていい」
と捲し立てられた。そうですね、そうですね、と聞き流す。一言反論すると、10倍返ってくるから。

義母は結婚前(50年以上前だ!)、保育園だか幼稚園だかで働いていた。そして働きながら、夫の独立後、町工場を切り盛りしながら3人の子を育てた。更に20年ほど前から、ボランティアで育児サークルの読み聞かせなどをしている。自分は子どものことは知り尽くしているプロだ、という意識が強いようだ。子どもの気持ちもわかるし、母親の気持ちもわかるつもりになっている。面倒なことに、彼女は、女なら母親なら、皆、夫や子どもに対して同じ気持ちを持っていると信じている。

その日も、Amiと一緒に買い物に行ったり、公園へ行ったりする間中、Amiの仕草や動作にイチイチ注釈をつけてくれる。「ちょっと眠たいのよ」「嬉しいんだわ」「これがちょっと気に入らないのよ」等々。大抵的はずれなんだけど。だいたい5歳過ぎて年長になるくらいの子は、自分の気持ちくらい自分で言えますって。気に入らないことがあって、言葉にできないなら、この
メンバーならAmiは癇癪起こしてますって。こういうのがずっとだから鬱陶しい。

一緒にいる間中、私が少しでもAmiの行動に不安なそぶりを見せると、「心配ない、大丈夫、気にしすぎ」の連発。私の言動にイチイチ反応する貴女の方が、よほど気にしすぎじゃないの?

また、家の中でボール遊びやゲームをするとき、Amiがずるをしようとしたりすると、Amiが不貞腐れようがどうしようが、意地でも正そうとムキになるので、ヒヤヒヤする。癇癪に移行すると手がつけられなくなるから。その上、
「おばあちゃんは、厳しいから許さないよ。お父さんやお母さんみたいに甘くないから」
と言うのだ。結局、そういう風に思ってるんだよね。癇癪を起こしたり、拗ねたりするのは、甘やかしてるからって。

留目は夕食時の会話。一人でパクパク食べるAmiを見て、「楽になったでしょう」と言う。今、この時期にわざわざ言わなくても。そしてボランティアの話。いろいろ悩んで相談してくるお母さんたちも多いらしい。「心配しすぎてダメ、子どもが神経質になる、と言ってあげるの。そうすると、そうですかって帰っていかれるよ」ひえぇ。私がAmiの子育てに辛かったとき、そんなこと言われたら、「わかってもらえない…」と絶望してたよ。ボランティアのおばさんに、でも、でも、と食い下がることなどできるわけもなく。それですんで行く人たちばかりじゃないはず。

すべてが、善意からあっていることだけに、余計に厄介。

そういう積み重ねがあって、我慢ができず、夫に隠れて、小4でアスペルガーだということを親から告知され、「アスペルガーは犯罪を犯す障害じゃないことを証明する」決意をした女の子が小5で書いた絵本、「アスペルガーの心」を置いてこようとした。すると、私にその本を押し返しながら、
「気にしていかん(ダメ)って!」
と言ってきたので、思わず義母の腕をつかんで、激しい口調で
「気にするなとか言わないでくださいっっ!!」
と凄むように言ってしまった。

「そんなこと言って、こんなの読んだら私が気になる」
本音だよね、それが。

私に、孫が障害者じゃないと言ってほしいんだ、きっと。
わかりたくないんだよ。
それぞれの個性って、思いたいから。
それで孫が困るとか、親である嫁がどれほど苦しんでるとか、関係ないんだよね。

「一人っ子で甘やかされた子」
世間ではそう思われるだろう。アスペルガーって、札をつける訳にもいかないし、つけたってどういう障害か、ほとんど知られていないし。そんな風に思われるって、真剣に育児に取り組む親としては、どれだけ恥ずかしいか。
見てわかる障害児であれば、世話は比較にならないほど大変だし、本人の困難も多いだろうけど、恥ずかしいとは思わない。断言する。

とにかく、本は置いてきた。

子育てサークルに来る子たちの中にも、そういう子はいるかもしれないし、Amiのためにも知ってほしい。協力してとは言わないけど、もう傷つけるようなことは言わないでほしい。そういう気持ちを、帰りの車の中で書いた。途中まで。書き続けて送信したかったのだけど、やめた。無駄だから。疲れるだけだから。

気持ちがあれば、置いてきた本を読むだろう。

子育てサークルの人たちには申し訳ないけど、ここでエネルギーを使うのは無駄。

今後、義母とはできる限り距離を置く。
それしかないと思っている。

posted by プルーン at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アスペルガーへの無理解 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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